オーストラリアのITの大学院に留学への経緯と自己紹介と将来

留学への道

皆様、こんにちはhiroueです。
今回は、簡単に私の自己紹介と、なぜオーストラリアの大学院に留学することにしたのかをお伝えします。

小さい頃

1986年生まれの、大阪出身です。
家業は、和紙の卸問屋。が、特に興味を持てず、父と祖父が頑張ってるんだなあ、くらいに思っていました。

ずっと公立の学校で、大阪からもほとんど出たことがなかったのですが、いつも「どこか遠くへ行ってみたい」「競争ではなく、自分しかしてない体験をしたい」なんてことを考えていました。

進学校で、みんな関西の国立を目指していたので、なんとなく違う選択をしたいと思い、私立にしよう、そして私立にするならやっぱり東京かなあということで、早稲田大学に進学。

旅に魅了された大学時代

家賃月3000円の早稲田大学田無寮に入寮。初日から木刀を持った先輩の前で声出しから始まり、大学入学後2週間は声が出なかったのも、今ではいい思い出です。

体育会系の寮に入った以外は、清く正しい大学生でした。全く勉強もせず、ただなんとなくバイトをしたりサークル活動をしたり、パワプロをしたり。本当に勉強しなかった。子を持つ親になってみて、本当に殴りたくなるような生活です。

ここではないどこかへ」症候群は続いておりました。手始めにヨーロッパ一人旅、そして中国ウイグル自治区への友人との旅、そして映画作り映画館通い(多いときは年に200本くらい見てました)を経て、21歳のときに大学を半年休学し、ユーラシア大陸横断の旅に出ました。トルコから日本へ陸路で帰ってきました。

グルジア(今のジョージア)、イラン、パキスタン、そしてインドなど、個性的で愉快な国々。このあたりは書き始めると長くなりすぎるのですが、どこでも生きていける力が身についた気がします。

風の谷のナウシカのモデルにもなった、パキスタンのフンザ

秘境専門の旅行会社時代

新卒での就職は、大手と迷った結果、小さな秘境専門の旅行会社にしました。

主に中国、その中でもチベットやウイグルを担当していました。営業も手配も添乗も企画もDMも一通りやらせてもらえました。たった1年半ほどでしたが、とても学ぶことが多かったです。

特に、JTBやHISのような巨人と真正面から戦うのではなく、専門分野を突き詰めて少数精鋭で深いサービスを提供することで熱烈なファンを生み出せることを知りました。

これは、自分自身の「競争は得意ではないけれど、自分だけの世界を持ちたい」という思考ともマッチしていました。

家業である和紙問屋に入社

その後、祖父のすすめもあり、そして海外への行き来が多くなって疲弊していた私にとって、家業の「和紙」という業界がとても魅力的に見えたので、転職を決意。日本の文化を海外に発信するなんてめっちゃいいやん!日本文化尊敬されてるやろうからいけるやろ!と軽く考えていました。が、そんなに甘いものではないというのがすぐにわかりました。とにかく売れないのです。

以来留学を開始するまで7年間和紙のしごとに従事しました。その間、一度イギリスへの留学を試みたのですが取引先との関係性を優先し断念。そして結婚し、息子が生まれました。

歴史や素材の質など、魅力的だけれども、需要もなくジリ貧。だけれども、だからこそやりがいがある和紙という世界。

倉庫を改装してお店を開いたり、自社ブランドを作って全国の郵便局に置いてもらったり。国内国外の展示会に出店してみたり即売会で一月分くらいの売上を2日で上げたり。試行錯誤を繰り返し、その間部下を持つことにも恵まれ組織づくりの難しさに胃を痛め。

劇的なV字回復は出来ませんでしたが、わずかばかり利益に貢献する事業を立ち上げることが出来ました。

このあたりのことは、博報堂さんに取材していただいた記事によくまとめていただいています。https://www.hakuhodo.co.jp/archives/column/49847

そして家族でのオーストラリア留学へ

そうした日々の中で、自分が生涯かけて登るべき山はこれだ。そう確信出来たのです。とにかく和紙を次のステージに上げる

そこで何が一番必要かと考えた結果、「海外展開」と「インターネット」でした。和紙のようにニッチな業界では、マスに向けた発信に意味はありません。コアなファンの取り込みを、国内だけでなく世界レベルに広げることこそが、今の和紙業界に必要とされていることだと確信しました。

しかし、私にその知識はなく、また業者さんに言われるままに出来るほどの予算もなく、また無理をして拠出したところで、結局魚の釣り方を知らないまま人に任せるのではいけないと思うようになりました。

和紙業界は、紙を作るのはとにかくプロです。世界的に見ても、とても高いレベルです。でも、それ以外の分野は不得意です。国から補助金を引っ張ってきては、外部の人達に丸投げをし、補助期間が終わればその事業もおしまいというのを繰り返してきました。

和紙にしっかりと向き合う覚悟のある人間が、「海外展開」や「インターネット」を正しく理解し、使えること。これが今最も必要なのだと考えるようになりました。

同じ時期、私生活でこれ以上ない苦しみを家族で経験し、どうしても環境を一度変える必要を感じていました。

弟が家業に入社してくれたことで留守を任せられることが出来るようになり、「海外展開」と「インターネット」の知見を広げ、自分自身が和紙業界を引っ張る人間になることを目指し、オーストラリアのビジネススクールへの進学を決めたのでした。

進学先は、The University of Queensland の、Master of Entrepreneurship and Innovation。主に事業の立ち上げの手法や、ラピッドプロトタイピング、デザイン思考、それにITについて学びます。

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